それるログ

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ゲーム考察:黒船党が発売された理由を考察した

1997年に発売された『がんばれゴエモン 黒船党の謎』を遊んで思ったこと,そして本作の発売意図を推測してみた.
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追記(2017/11/22,10:10):この理屈だとPS版ゴエモンの説明がつかない.それっぽくまとまってはいるが,あまり信用しないほうがいいかもしれない.

 


  ==== このゲームは,はっきり言ってできが悪い.セーブが章区切りでしかできない.見下ろしアクションなのに斜め移動が搭載されていない.敵の攻撃がかわしづらい.リーチが短く攻撃が当てられない.コースが長く,体力が削られることを前提とした行動をとる必要がある.このゲームから10年ぐらい前,ファミコン時代にあったような欠点が多い.嫌いな言葉ではあるが,クソゲーと言われてもやむなし,だろう.

だが一番不思議なのが,このゲームを発売したのがコナミだということだ.

まだ小さい,立ち上がったばかりの企業なら,こういう「10年ぐらいに見たことある誤り」をすることがある.「もっと調べてから作ってよ」とは言いたいが,小さい会社ならまだ納得できる.社内にノウハウがないのだから,よそのゲームを遊び,そのゲームがやっている工夫を見抜く必要がある.簡単なことではないだろう.

だが,このゲームの開発は当時既に大手企業だったコナミ株式会社.本作の開発は名古屋支社だが,支社だからと言ってゲーム作りのノウハウがまったくないとは考えづらい.「名古屋支社には新人社員しかいなかったのだ!」と言われれば納得だが,普通に考えてそれはない.むしろ本社から離れている場所には,上役の代わりに,上役がいなくてもリーダーを務められるようなベテラン社員が割り振られるほうが自然だ.またこの1本が偶然ダメだったのではなく,他の名古屋開発ゲームの出来も悪い.不自然だ.



ここからは完全な想像だが,名古屋支社にはゲームの開発期間がほとんど与えられなかったのではなかろうか.ゲームを少しでもやったことがあるなら,同時期のゲームボーイソフトと比べて明らかな出来の悪さに気づいたはずだし,パラメータを少しいじれば(移動速度,攻撃範囲など)改善する問題も多い.それすらできなかったというのは,開発期間の短さが原因だろう.

こういうゲームはよく「テストプレイしなかったのか」と言われがちだが,常識的に考えてしないわけがない.こういう場合,テストプレイはして,できが悪いことはわかったが,何らかの理由でやむなく発売するパターンが多い.テストプレイやデバッグの結果バグは見つからなかった,でもバランスは悪い.そんなときどうするか.パラメータをちょっといじっただけだから,テストプレイもデバッグもなしで発売する?そんなことしてバグが発生したら,パッチを当てられないこの時代のゲームは回収騒ぎに発展する危険性がある.だから,パラメータ1ついじるとテストプレイやデバッグが必要になる.そしてそれは,普通1日や2日程度では終わらない.だから,できが悪いとわかっていても発売に踏み切ったのだろう.

「じゃあそもそもできが悪いゲーム作るなや.最初から完成度高いやつ作れ」と言われそうだから,さらに付け加える.ゲームの製作には2種類のパターンがある.ゲームを徐々に作っていき,完成までこぎつけるパターン.そして,ゲームをとりあえず完成させ,そこから完成度を上げていくパターンだ.前者の場合,完成までにかかる時間が推測しづらいため,同人など「利益を得ることが最優先事項ではない場合」に適用しやすい.そして後者は,とりあえず完成しているため,その完成度で出そうと決めれば,いつ発売してもOKな状況,つまり「利益を得ることが最優先事項である場合」に適用しやすい.つまり,企業だ.

誤解されると困るが,ゲーム会社が利益を最優先事項にするのは何もおかしいことではない.利益を得なければ会社が潰れるのだ.働いている社員の給料が払えなくなるのだ.それは,これまでの倒産した会社たちが証明している.完成度の高いゲームを作ったからといって,利益を得られなければ意味がない.だから,この世のゲームはすべて,利益と完成度のどちらをどれくらい重要視するかを考慮した上で発売される.

そして,コナミ本社から名古屋支社に求められた要件は,完成度は低くてもいいから,とにかく早くゲームを出すことだったのだろう,と想像できる.では『がんばれゴエモン』というブランドが傷つく可能性がある(というか,ほぼ確実に傷つく)にも関わらず,完成度の低いまま,なんとしてもゲームの発売を急いだ要因はなにか.1つの想像に行き着いた.





ポケットモンスターだ.

ポケットモンスター赤・緑の登場は1996年2月27日.ご存知の通り800万本近い大ヒットとなり,落ち込んできていたゲームボーイの売り上げをV字回復させている.さらに1996年10月15日にはポケットモンスター青の通信販売が開始,受注システムをパンクさせたと噂されるような大ヒットを巻き起こしている.ポケモンの影響は大きく,発売本数が年々減っていたゲームボーイ用ソフトだが,この時期を境に大量に発売されるようになる.Wikipediaのデータ(リンク)によると,1995年には58本,1996年には41本だったのが,1997年には55本,そして1998年には100本に増加している.ゲームボーイのV字回復とともに,様々な会社がこの勢いに乗って自社のソフトを売ろうとしたのだろう.



ここからは,ポケモンの流行に直接乗ろうとした『二匹目のドジョウ』を軽く紹介する.

1996年12月13日,ポケモンからたった10ヶ月でバンダイが動く.ポケモンとシステムがほぼ同じ『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪創造主現る!』を発売.二匹目のドジョウを狙いにかかる.

1997年11月28日,ポケモンから1年9ヶ月かけてイマジニアが続く.『メダロット カブト・クワガタ』を発売.2バージョン要素や収集要素など,ポケモンを意識した作品である.以下,該当しそうなしそうにないようなものがたくさんあるため,1998年内までに発売された,ポケモンを意識している気がするタイトルを羅列する.

1997年12月12日 超魔神英雄伝ワタル まぜっこモンスター(バンプレスト.原作ありタイトルに「まぜっこモンスター」という文章を追加)
1998年3月6日
 もんすたあ★レース(光栄)
1998年3月20日 メダロット パーツコレクション(イマジニア.本編の補完ソフト)
1998年3月27日 カンヅメモンスター(アイマックス
1998年5月29日 メダロット パーツコレクション2(イマジニア
1998年6月7日 
超魔神英雄伝ワタル まぜっこモンスター2(バンプレスト
1998年9月25日 ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランドエニックス
1998年10月2日 もんすたあ★レース おかわり(光栄)
1998年11月27日 サンリオタイムネット 過去編・未来編(イマジニア
1998年12月4日 ロボットポンコッツ 太陽・月(ハドソン)



この熾烈な「後追い争い」の時期,コナミはどうしていたのか?

1994年11月25日の『タイニートゥーンアドベンチャーズ3』から,コナミはしばらくゲームボーイ向けソフトを出していない.おそらくコナミとしては,ゲームボーイはこのまま終わり,世代交代なりなんなりが起きると予想していたのだろう.ところが,ポケットモンスターが発売され,にわかにゲームボーイが盛り返す.ここでゲームボーイ向けにソフトを出せば,売り上げに繋がることは目に見えていただろう.そこでコナミは,急ぎゲームボーイ向けソフトの開発に取り掛かる.

1997年9月25日,コナミは2年半ぶりのゲームボーイ向けソフト『コナミGBコレクション Vol.1』を発売.過去にコナミがGB向けに発売した4タイトルを詰め合わせたソフトだ.新作を作る余裕はないが,今,市場にコナミのソフトがあることに意義がある.ポケモンで盛り返したゲームボーイの商品棚にコナミのソフトを置きたいという開発意図が見えてくる.

1997年11月27日,コナミは『悪魔城ドラキュラ 漆黒たる前奏曲』を発売.開発は名古屋支社.ちょっと調べてもらえればわかるが,完成度の低さから低評価がついている.だが,今出さなければ最大のチャンスを逃してしまうのだ.

そして1997年12月4日,コナミは『がんばれゴエモン 黒船党の謎』を発売.開発は名古屋支社.発売理由は,もうわかるだろう.

その後のコナミは,GBコレクションで場をつなぎつつ,名古屋支社の開発したソフトや新規作,完全新規作を発売し,最終的にときメモPocketという2バージョン作品を発売するに至っている.

1997年12月11日 コナミGBコレクション Vol.2(過去作4本の詰め合わせ)
1998年2月19日 コナミGBコレクション Vol.3(過去作4本の詰め合わせ)
1998年3月19日 コナミGBコレクション Vol.4(過去作4本の詰め合わせ)
1998年3月26日 ゴッドメディスン 復刻版(ストーリーを追加したGBソフトのリメイク)
1998年3月26日 パワプロGB(名古屋支社開発)
1998年6月4日 ワールドサッカーGB(新規)
1998年7月2日 高気圧ボーイ(完全新規)
1998年10月15日 爆釣 リトリーブマスター(完全新規)
1998年12月17日 遊☆戯☆王デュエルモンスターズ(新規)
1999年1月14日 がんばれゴエモン 天狗党の逆襲(新規)
1999年2月11日 ときめきメモリアルPocket カルチャー編・スポーツ編(2バージョン)
......



もちろん,完成度をほとんど考慮せずに人気ブランドを使ったソフトをホイホイ発売したコナミに非があるのは明らかだ.だが,こうしてみると,コナミの意図も,その時の感情も伝わってくる.コナミだけではなく,他社の意図も.今見れば,時代の流れとして避けられなかったのかもしれない.

以上!